F. I. M.

書きたいときに書きたいことを。主に早見あかりさん。

忘れないと誓ったぼくがいた(2/28 初回感想分)

タイトルまんまの内容です。

 

「忘れないと誓ったぼくがいた」(通称わすぼく)が、めでたく3月28日に公開されました。

この2日間で色々な方がご覧になって、色々な何かに胸が突き動かされているみたいで。

 

自分は昨日の鑑賞が2回目となったわけですが、思考がぐるぐるぐるぐると巡ってしまっています。

というわけで全く整頓出来ていないのですが、せっかくの機会なので丁度1ヶ月前に初めて鑑賞した時の感想を投げさせていただきます。もはやただの箇条書きです。

 

こうすることで、わすぼくフィーバー(あえて俗っぽく言ってみる)を少しでも持続させられたらいいなあ…なんて。

後ほど清書するかもしれないし、しないかもしれません…

 

一応、ネタバレ度合いで3段階に分けてます。

未視聴で内容ほぼ知らずにいたい方は1段までで、

未視聴だけどある程度のネタバレOKなら1段と2段、

映画見たよ!!!!!!という方は全部という感じです。

 

 

 

 

*以下の文はネタバレほぼ無しです*

 

 

忘れないと誓ったぼくがいた、辛いという観点以外の感想を述べると、凄く生(なま)っぽい画作りがなされた作品。
彼女の前作である「百瀬~」を引き合いに出すが、そちらの役どころは主人公の憧れの中の美少女な訳で、彼の目を通した、白くすべすべとしたイメージ像をもって物語が展開する。

対し、忘れないと~は、肌のしっとりとした感触や、むせ返るような匂いまで残っているような感じがする。高校生の、ちょっと恥ずかしくなるようなラブシーン(とあえて大袈裟に言う)。
その生々しさは紛れもなく2人が共に過ごした事の証であり、故に後半に向けて収束する物語への説得力となっている。(以上Twitterより転載)

 

 

 

*ここから先は、ややネタバレ*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく苦しい、つらい

そういう世界線があることを信じたくない認めたくない幸せであってほしい

 

「思い出せないけど、なんだかとても大切な記憶だった気がする」なんてご都合主義は生ぬるい。どんなに大切でも思い出せない。そんな辛さがこれでもかとあらわになっている。

 

序盤は両者演技が堅いのかな?と思って入り込めない箇所も正直あったのだけど、(他の方の感想で気づいたが)その不自然さもあえてだったのかもしれない。だとしたらすごい。

対し中盤~ラストに向けての入り込み方とんでもなく、後半はその世界にのめり込んでしまった。全くと言っていいほど雑念が無かった。

 

劇場すすり泣く声が聞こえた。ぼろぼろと泣いてしまった人が多かったのだそう。
会場出てしばらくも、フラッシュバックによって涙がこぼれるのが抑えられず。

インタビューで「今後はハッピーエンドの学園物をやりたい」と発した理由がよく分かった。これはあまりにも、むごかった。

(百瀬やセカラブなど、彼女の作品をもって比較対象とできるのが嬉しい)

 

 

 

 

 

 

 

 

*完全なネタバレあり*

 

 

 

 

 

 

 

 

原作では消えてしまう少女→映画では姿を消すのだけど、この改変は素敵であり恐ろしいほど残酷。

 

死別よりも残酷な結末
→死別は別れを惜しまれる
死別なら残された側が辛くなるだけだが、これは消える側を沢山傷つけて最後消えていく。

 

百瀬はタイトルが序盤、わすぼくはタイトルがラスト。
→世界の境界線?前者は世界の余韻が残り後者はそこで世界が終わる

 

辛くてたまらなかったのは

「私何かバチが当たっちゃったのかな……」

というような事をあずさが言うシーン。
詳細に描かれていない、一巡目の絶望はいかほどか

 

あずさの魂がすり減り、限界に達してしまった時=物語の終焉

それは諦めだ絶望なのだとマイナスの感情で一刀両断して良いのか、きっと違う。寧ろ精一杯もがいて、やりきったからこその達成感で、ゴールだったのだ。だから祝福されるべきなのかもしれない。悲しいけど。

 

なんであそこで名乗らないのか、意味がわからないと思っていた。でもよく考えたら理解できるわけが無い。何度も何度も愛する人に忘れられる苦しみなんて。


この映画を見た人が「こんな世界受け入れられない」といってしまったら、あずさの存在はどこにも受け入れてもらえていないことになる。
別の世界にいる私達だけでも、受け入れてあげたい。どんなに苦しくても。ぜったいに忘れたく無い。