F. I. M.

書きたいときに書きたいことを。主に早見あかりさん。

希望は!前に!進むんだッ!!!!(スーパーダンガンロンパ2舞台感想log)

えっと、まず懺悔です。

今年の7月末に、「スーパーダンガンロンパ2 THE STAGE〜さよなら絶望学園〜」の記者会見に(超高校級の幸運 に導かれ)参加し、その際の感想をこちらに書きます!!と言っていました。

言っていましたが…Twitterにあらかた投げてしまったこともあり、結局書かずじまいでした……申し訳ありません……

 

っていうか12/13に千秋楽迎えた舞台の感想なんて、そもそも大晦日じゃなくてもっと早くに更新しろよ!!!!って感じなのですが、まああれです。途中まで書いて下書きにぶちこみっぱなしだったパターンです。

というわけで、以下の文章は今年の12/14あたりに書いたやつです。千秋楽から3週間近くが経過した現在でも余韻に浸りたい方のお役に立てれば。

※最後にちょっとだけ12/31に書いた文章も足してあります。

 

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忘れないと誓ったぼくがいた(2/28 初回感想分)

タイトルまんまの内容です。

 

「忘れないと誓ったぼくがいた」(通称わすぼく)が、めでたく3月28日に公開されました。

この2日間で色々な方がご覧になって、色々な何かに胸が突き動かされているみたいで。

 

自分は昨日の鑑賞が2回目となったわけですが、思考がぐるぐるぐるぐると巡ってしまっています。

というわけで全く整頓出来ていないのですが、せっかくの機会なので丁度1ヶ月前に初めて鑑賞した時の感想を投げさせていただきます。もはやただの箇条書きです。

 

こうすることで、わすぼくフィーバー(あえて俗っぽく言ってみる)を少しでも持続させられたらいいなあ…なんて。

後ほど清書するかもしれないし、しないかもしれません…

 

一応、ネタバレ度合いで3段階に分けてます。

未視聴で内容ほぼ知らずにいたい方は1段までで、

未視聴だけどある程度のネタバレOKなら1段と2段、

映画見たよ!!!!!!という方は全部という感じです。

 

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サンクユーベリーベリー

ブログというより、ただの感謝の言葉をつらつらと。

Twitterだと長いので、こちらでね。

 

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log 2012年の11月終わり 紅白と夏菜子ちゃん 不穏な空中リプライ

当時のツイート+ちょっとコメント足してます

 

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こんにちはしてきました


@スタジオパーク

というわけで11/28に生放送されました、早見あかりさんがゲストの「スタジオパークからこんにちは」の観覧に行ってきました。
…といっても、観覧券をもっていたわけではないので、ガラス越しに見つめていた記憶の記録です。
(でもopのあの距離のことを考えたら、外での観覧もめちゃおいしかったかもしれない…)

今回は読みやすく文にまとめているわけではなく、ツイートレベルの短文をここにぶちこんでいるだけなのであまり面白みはないです。すみません。かなり自分用の感があるかと思います。

一応時系列にはしてますが、複数のエピソードを受けて思ったこともあるので、前後してる箇所も多々あります。


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当たり前なんだけどあかりちゃん大好きな人がいっぱい集まってて、観覧待ちの場が幸せだった。

私服のカジュアル感が、ブログ時代と変わってないな〜って思ってたら、もっとずっと前から見ておられた方々もそう仰ってたのでやっぱりそうなのねと。

座り方がとてもきれい。大人の女性の品を感じる。気品。

一番最初のメールされた方の「一目見て恋に落ちて大好きになった」って旨の内容と言い回しに「わかる……わかる……」って頷きまくったり。この人、2年前の自分だな?

シャーロットさんとピン子さんの「あかり」呼びはくるものがあるな。

お二人のV終わり、2回とも目が潤んでる感じ。そのうるうるに光が反射して、おめめがきらきらと輝いていて、それがまたたまらなく美しかったよ。

ピン子さんへの質問が「長く女優を続ける秘訣は?」なのがどれだけ嬉しいか。続けたいって思ってくれてるんだなって改めて。

こんな聡明な幼女が実在したんかいな……(恐れ)
12歳の完成度の高さがもはや怖いレベル。同じ大会の出場者の中で話題になったろうな…「一人滅茶苦茶美人な子居なかった!!??」的な

ひとりさん映ったときの良さ…安心感…

あかりちゃんのお父さんお母さんはこうして芸能界の中にどんどん増えていくんじゃねえ(ひとりさんのお父さん感もめちゃ高い)

佐久間さんは素材を貸した時何を思ったのかな。ちょっとほっこりしたのかな。だったら嬉しいな。

お母さん本当ええ人なんでしょう。仲良すぎ。この親にしてこの子あり。



ゆるいところやお母さん大好きなところは変わってなくて、ネイル習得とか立ち振る舞いとかは素敵な女性な感じに変化してて、最高ですね。

very beautyの歌詞が沁みるぜ…
 
無駄な事なんて一つもなかった って言葉の通りだった。そう感じられるようなエピソード構成が絶妙。このトーク内容・構成にして下さったスタッフさん?には頭が上がらない。本当にありがたかった。

オーデションの件(掲示板とかには色々落ちてるらしいよとかあったけど真偽わからなかったので)疑って申し訳なかったな。きっといっぱい悔しい思いしたんじゃないかな。
→ウレロ百瀬アゲインと、目に見える仕事に請われる仕事が多かったから余計勘違いしてたのかもな。その裏ではそれ以上に落ち込んでたのでしょうな。そしてそれを表に出すことも出来ないし。
本当にごめんなさい。

an・anと今日の放送セットで一つの解になる。最近のその他のインタビュー足すとさらに理解が深まる。そんな感じが。

頑固で意思が強くて、は本人見ててすごく納得なんだけど(インタビューの形として私たちが目にできるのも、その「強さ」をフィーチャーしてる感あるし)、本質的なところは「繊細」「自分で自分を追い詰めてしまうようで心配」な面なのかも。
ピン子さんの発言=中野れにちゃんの発言 だぶる。
→ウレロ2話のコメンタリーでのひとりさん「彼女は完璧を求めるところがあるから、他が全てよくても1つ噛んだりするとすごくそれで落ち込んでる」≒「自分で自分を追い詰めて〜」
それを支えて下さる方がずっといて下さることを表から見ている身としては祈らざるを得ないよ。


昨日のラストの退場は、さながら小説のエピローグのようだった。
私と、というより無印時代からのファンの方との関係性として見て。
アイドルだった彼女が、身ひとりで飛び出してがむしゃらに努力して。
やがて夢を実現させた少女は美しい大人の女性として再びファンの前に現れた。
その真っ直ぐな足取りと表情、仕草こそ昔とは違えど、きっとあの頃は忘れていないのだと思う。
そんなことを遠巻きに見つめながら感じた。

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本文中に出てきた「very beauty」はBerryz工房の13枚目のシングルなのですが、当時のメンバーは中1〜高1でした。
ファンの間では、この曲のリリース後から急速にメンバーが大人びていったと言われています。



少女を崇拝するということ。

 

すごく久しぶりに長文ですこんばんよう。
ここまで過去ログ倉庫っていう設定を無視し続けると、逆に開き直れるものですね。
まあ、まとめたい欲はあるので、そのうちがんばる、かもしれません。

 


昨日が「すべてがFになる」後編の放送だったわけですが、24時間が経過したというのにまだその余韻が抜けていないみたいです。
ここまで引きずるのは百瀬初見以来ですね。月曜日の授業外を眺めて呆然としてましたもん。
ただ百瀬の場合は、あの青い空気感とかストーリーとかの固まりの中から抜け出せない感じだったのですが、Fはその場面場面が入れ替わり立ち代わり自分の前に再現されていく感じがしてます。
なんというか、他の作業をしていても、あのうつくしい瞬間がフラッシュバックして、呆然としてしまうんです。

 

※以下、すべてがFになるネタバレ含みます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあこのトリックを文面だけでなぞると「14歳の姪っ子を孕ませた鬼畜野郎のせいじゃねーかYO!!!!」ってことになってしまうのですが、丁寧に原作読んでいくとどうもそういうわけではないんですよね。
普通(そもそもこの状況が普通じゃないけど)だったら、成人の男の方が肉体的にも社会・経済的にも優位なわけで、少女はパートナーというより庇護すべき存在なわけです。彼女の自由意志は尊重するとしても、実際問題その後を導いていくのは男の(というか大人の)使命なわけです。
…が、この場合はそうではない。何故なら彼女は「天才」だったから。凡人には到底及ばないその頭脳と美貌。崇め奉るべき存在とも言えるでしょうか。テレビドラマ版のスレットに「彼はずっと真賀田四季の奴隷だったんだよ」という一文があったのですが、言い得て妙だなと。隷属することさえある種の褒美のような、そんな存在なのでしょう。
この辺りのエピソードは「四季」シリーズで語られてるとのことなので非常に楽しみです。のめり込むあまり気がふれてしまいそうな怖さも感じていますが。

 

少女に仕える男性の図、というモチーフといえば桐野夏生著の「グロテスク」、桜庭一樹著の「私の男」も該当するのではないかと思います。


「グロテスク」は、語り手である”わたし”と、恐ろしいほどの美貌をもつ妹の”ユリコ”の確執を描いた物語なのですが、あるフォロワーさんが「グロテスクのユリコをあかりんが演じてる姿を見てみたい」という旨のツイートをされていたのをきっかけに読み始めたという経緯があります。

次の文は30歳をとうに過ぎたユリコが自身の少女時代を振り返った際の台詞なのですが、自分の胸にどくりと刻みつけられました。

 

 

 ”今になって気が付いたのだが、少女時代の私は、大人の男の興味を惹く何かが過剰に備わっていたのだとしか思えない。ロリータ・コンプレックスと言われるものを喚起する魔力を強く持っていたのだ。
(中略)
あらゆる年齢の男が驚嘆や崇拝の眼差しで私を眺め、何とか口をきこうとして必死になったり、知り合うきっかけはないか、と頭を巡らす様子を見る喜び。私の滑らかな皮膚や艶のある髪や膨らみかけている胸をうっとりと眺めては、その様を誰かに観察されてはいないだろうかと慌てて周囲を窺う男たちの弱みを握る優越。少女の私には、男が求める神性のようなものが備わっていたのだ。美少女。その魔力が失われてどんどん平凡になっていくこと、それが私の成長だったのだ。”

 

 

すべての男性が等しく”美少女”の聖性に跪くか否か確かめる術はありませんが、少なくともそれに魅せられる層が一定数存在することは事実でしょう。美しいものは良しとする以上に、その造形が限りなく低い確率のもと生成されたこと・それが大変に儚いものであること。そういった文脈が内包されているからこそ、美少女というのは尊いのではないでしょうか。


「私の男」は義理の父と娘の十数年にも渡る共生の物語です。14年6月には二階堂ふみさんと浅野忠信さんで映画化もされましたね。


※以下「私の男」の軽いネタバレがあります。


私がこのお話を好きだと思う理由は、大人の男である淳吾が、年端のいかない娘である花のことを母のように崇め、また花もそれに慈悲をたたえながら応えるシーンがとても美しいと感じるからです。
花の見た目については深く描写はありませんが、お互いに「あなたとしか生きていけない」と本能で感じ合っているかのような結びつきが、不気味でもあり、ある種の聖性を帯びているようでもあります。

 

さて、ここまで「少女に仕える男」というモチーフについて散々書き殴ったわけですが、私は残念なことに男性ではないのでその狂おしいまでの衝動はわかりません。体験する術もありません。

 

 

ですが、ここで一つ疑問が湧いたわけです。
「私が早見あかりさんに感じているこの感情は一体何?」

 

彼女の見た目に強く惹かれたのは12年の春。文句のない美少女がPC画面の向こう側にいました。
そこから、ありとあらゆる媒体で彼女という人格に触れ続けてきました。


自分は元々一つのことに熱中してる期間はそれ以外にあまり目が向かない性格ではありましたが、それでもおおよそ2年くらいの周期で興味は少しずつ移行していっていました。

 

それが今の自分は、早見あかりさんに対して興味が薄れるどころか、どんどんどんどん「好き」という気持ちが加速していっています。こんなことは初めてです。それはその対象が実在の人物だからとかそういうことではなく、すべてのものに対して初めての経験なのです。
PCのデスクトップ、携帯の待ち受け画面、アイコン、部屋の装飾に至るまで目に付くところは全て彼女の姿を反映させています。朝目覚めて最初に彼女の顔を思い、彼女に対する好意を口にしては幸福に包まれ、夜眠る前に彼女の言動を反芻し胸が打ち震えます。日によって程度の差はあれ、これが自分の日常になってしまいました。

 

 

思えば、私の喜怒哀楽は全て彼女によって掌握されているといっても過言ではありません。
彼女の美しさを目の当たりにするたび、口角が上がるのは避けられません。彼女の魅力を理解するに至らない者を見かけると決して当人にはぶつけられない罵詈雑言が胸の内を駆け巡ります。彼女のこれまでを振り返っては感動に打ち拉がれ、この先の未来にも彼女がいる可能性を幸福だと強く強く感じています。

 

 

よく「同性が「○○ちゃん、かわいい!」と言っているのを見ると「○○ちゃんかわいい!って言ってる私かわいい!!」って言うふうに聞こえる(笑)」というコメントを見かけます。
そのこともあり時折「私は実は”同性にのめりこんでいる変わった自分”でありたいだけではないのか?」と考えたりもしました。

でも、
日常の断片・思考の片隅に彼女の存在はたしかに”います”。それはもう意識無意識ではなくて、こらえても溢れ出てくるような感覚。
だって、彼女のことを考えるとこの上ないほどの幸福に包まれるのですから、わざわざそれを無視するなんてそんな自然の摂理に反することなどできません。


今の自分の元から彼女がいなくなる(正確に言うと目の届かないところに行ってしまう)こと、想像するだけでも恐ろしいです。
だから私はこういったブログでよく口にしていました。いてくれてありがとう。と。

この言葉、裏を返せば「お願いだからいなくならないで」なのかもしれません。


自分は元来プライドが高く、自分の能力によって生きていきたい。評価されたい。そういう人生観を所持している人間でした。
それがこんなにも誰かの存在に身を委ねてしまっている…それが本当に怖くて、たまらない。

そしてこうも思います。これこそが少女を崇め奉る者の精神構造なのかもしれないと。


彼女のアイドル時代のソロ曲…fall into me
すごい歌詞ですよね。だって「私に堕ちてゆけ」ですよ?常人がやったら非難囂々です。
でも、今の自分の状況を考えたら納得だな…と。
まさか作詞された方がそこまで意図していたとは思えませんが、あの曲・歌詞がここにきて魔力を帯びて、捉えて離さない強力な罠へと化けてしまったようなそんな気もします。

 


本当に自分どうなっちゃうんでしょう。
ここまで書いて大分落ち着いてきましたので言いますと、普段からこんなヘビーな感じで生きているわけじゃないですよ。
ただ、今日はいろんな事象が重なって、昂りが抑えられなくなってこんなことになってしまいましたが…

 

 

 

 

 

だからね、普段彼女のことをろくに見てもいないのにこういうときだけ出てくるモノノフさん。
お願いだから彼女のことを汚さないで。私ですらわからないのにあんたらなんかに推し量れるようなそんな安い存在なんかじゃないんだよ。
私はあんたらなんかよりずっとずっと彼女のことが好きだ。絶対負けるもんか。あんたらみたいな、声ばっかりデカい偽善者に潰されてたまるもんか。
なんてね。

 

一人のアイドルが死んだ日

去年の4月10日がファンとして初めて迎える4月10日でした。

そこで私はあの中野のセレモニーを思いながら絵を描き、”アイドルの”早見あかりさんに対する感謝の意を述べました。

それから1年。

 

去年その呟きを投稿したときに思いました。

今回は自分的には初めての機会だったけど、これから毎年命日のように当時を経験していない自分が思うのは何か違ってる。

来年以降は触れないでおこう。彼女の未来だけを思うべきだ。

あの頃は…と振り返るのは、11年時点で並走していたヲタの方の役割なのだから、その方達に任せておけば良い。

 

そう胸に決めて今日1日過ごしてきましたが…やっぱり触れずにはいれないみたいです。

 

 

 

ここ数日、趣味で作っている動画を春休み中に完成させようと、集中的に2010年度のももクロの動画を見返していました。

自分としては去年のある時点で、「今の5人こそがももクロだ。もう6人時代を投影することなく、ももクロももいろクローバーZとして楽しむことが出来る」と実感したつもりでいました。

でも、昔の動画を見たことでやはり揺らいでしまいました…

MC中もライブ中も打ち合わせ中も目で追ってしまうのは青の子です。

地声が低いようで急にキンキン声で騒いだり、男前などSMCを繰り広げたりする様子を見ると笑みが止まりません。

苦しみもがきながらも、うなるような切迫感のある低音で歌い上げる様

目線と腰使いで魅せる妖艶なダンススタイル

そのライブパフォーマンス一つ一つが私の心を捉えて離しません。

その姿は正に、私が一番大好きなアイドルさんの姿です。

 

このように書くと、私が、今の彼女の仕事に不満を持っているだとか、彼女にもう一度アイドルをやってほしいと願っているかのように思われるかもしれませんが、そういうことではありません。

私が彼女を好きになってから、その活躍に胸を躍らせた日々は絶対に無下にしたくないですし、女優の道を着実に進んでいる彼女を見つめ続ける未来はこの上ない幸福であると確信しています。

ただ、”アイドル・早見あかり”はもうどこにもいません。どんなに逢いたいと願ってもそれが叶うことは無いんです。その事実がとてもとても残念で、苦しいんです。

 

これは自分独自の認識でもあるのですが、現代アイドルという存在は自身の24時間365日をパッケージ化し、そこにファンが物語を載せていく余地を存在させている点を売りにしていると思っています。

そしてその特性はその他の似た職業である俳優・モデルに要求してはならないものです。

つまりアイドルにとっての「プライベート」はその他の職業より範囲が狭くなります。

所謂オフショットも、前述のパッケージの一部と成りうる故、厳密に言うとその他の職業の方のそれとは異なるだろうと考えています。

 

先程言った「アイドル・早見あかりはもう居ない」というのはそういう事です。

無邪気に笑う彼女ならウレロシリーズを始めとする各撮影のメイキング等で確認できますし、今後歌やダンスを披露する仕事が来るかもしれません。

ですが、その姿はアイドルではありません。アイドルとしての彼女は間違いなくあの日あの場所で消え去りました。いくら似ていても異なるものだと思うのです。

 

だから私は思います。アイドルとしてのあなたに会いたかったな、と。

青いグッズをいっぱい買いこんで、洋服も青ベースで仕立てて、青いサイリウムを振り回してあなたの名前を叫んでみたかった。

胸を張って私の推しはこんなにも素晴らしいんだ、と満ち足りた気持ちでステージを見つめられたらどんなに楽しかったことでしょう。

 

現在のももいろクローバーZだって大好きなんです。ライブだって楽しいし、彼女ら5人の人柄の素晴らしさに感銘を受けたことは一度や二度ではありません。

でも、本当の本当に正直なことを言うと、ライブに出かけている時、どこかで嘘をついているかのようないたたまれなさをふとした瞬間に感じてしまうことがあります。

私が紛れもなく、どうしようもないくらいに心酔している子は、その場には居ない。

 

私はももいろクローバーZを好きになって、アイドルの早見あかりさんを好きになって、それから女優の早見あかりさんを好きになってしまいました。

クローバー時代に興味を持たず、ももいろクローバーZだけを好きでいられたら、

あるいは、女優としての彼女のみを見つめ、アイドル時代の彼女に関心を持たないでいられたらもっともっと気楽だったと思います。何でこんなに好きになってしまったのか…

でも、好きになってしまったのだから仕方ないですよね。理屈じゃないんです。

 

来年以降、自分がどのような心持ちでいるのか見当が付きません。

出来ることなら、4月10日という日を別段意識せず過ごすのが理想ではありますが、難しそうです。

しつこいようですが、私は今現在の彼女の活動を否定する気は微塵もありません。

ただ、今日一日TLを眺めながらずっともやもやと抱えていた胸のつかえを、吐き出したくなってしまっただけです。

彼女が私の目の届く場所にいてくれる今に感謝して、今日はこの辺りで筆を置こうと思います。